朝4時、母のルーティーンと同じ時間に起床。
私は眠たくてたまらない、夢現のまま朝食ボックスをもらいワゴンに乗り込む。
私たちとメキシコ人カップル、オーストラリア人夫婦の6人を載せたワゴン車は砂漠の中を南へ南へと進んでいく。
初めは暗くて見えなかった外の景色も、徐々に朝日に照らされて見えてきた。
何もない荒野に、ポツポツと作業している人たちが見える。
2年前はこんなに人がいなかったのに、何をしているんだろう?
ガイドさんに聞いてみると、新幹線を作っているとのこと。新幹線がカイロから開通すれば、アブシンベル神殿まで日帰りで行けるようになるんだとか。
それでも私はクルーズ船に乗りたいのだけれども。
8時、いよいよアブシンベル神殿の駐車場に到着。
チケットを買い、中に入ると黄土色の大きな山が見えてくる。
その裏に突如現れるアブシンベル神殿。
荘厳な神殿はナウル湖に向かって聳え立ち、朝日を浴びてその大きさをはっきりと示している。
何回見てもでかい、意味わからんくらいでかいこの神殿が砂に埋まってたなんて信じられない。それを掘り起こしたのも凄いし、その後アスワンハイダム建設で沈没しちゃう!じゃあ切って移動させよう!ってなったユネスコもすごい。
世界中から寄付を募って、神殿を今の場所に移した人間の技術力…凄い。
そして、10/22と2/22の2日だけ神殿の中の像に光が差す設計(!!)どこまで計算されてるんだ。今回は英語ガイドさんが説明してくれたので、より理解が深まった。ガイドさんの説明があるのとないのでは違うなあ。
ちなみにアブシンベルって何の名前か知ってる方いらっしゃいます?恥ずかしながら、今回ガイドさんに聞くまで知りませんでした。
建設後、長い年月の内に砂に埋もれていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され、1817年にブルクハルトの知人であったイタリア人探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって出入り口が発掘された。
wikipediaより抜粋
この発見した人の手助けをした近所の村のエジプト人の名前が「アブシンベル」さんなんだそうです。
入り口にある大きなラムセス2世の4体の像は左から20代、30代、40代、50代と年をとっていく構造になっていて足元にはネフェルタリ(妻)。
中も美しい壁画がたくさん残っていて、カデシュの戦いが記されている。
カデシュの戦いとはエジプト新王国vsヒッタイト王国の現シリアを奪い合った戦いで、私が中学生の時にせっせと読んでいた「天は赤い河のほとり」篠原千絵先生の作品で出てくる。
ラムセス2世とカイル王子の戦い、胸熱です。王家の紋章もいいですが、こちらもおすすめしたい所存です。私の一推しキャラはイルバーニです。
アブシンベル神殿の隣には妻ネフェルタリのために作った小神殿があり、これもまた中が美しい!牛の神様ハトホルが柱の上に描かれており見どころの多い遺跡だった。
また3時間かけてアスワンまで戻って、クルーズで昼食。
今日のタオルアートは猿。
夕方まで本を読んだり昼寝をしたり好きに過ごしていたら、ガイドのアフメッドから甲板においでよとメールが来た。母と一緒に行ってみるとアフメッドが一人でタバコを巻いているところだった。
ただおしゃべりがしたかった様子で、エジプトの旅はどう?と話始めた。
話しているうちに、今まで何カ国行ったかの話になり40カ国ぐらい行った話をするとアフメッドがナイル川を眺めながらこう言った。
「ルクソールで生まれて育って45年、一度もこの国を出たことがない。いや、出れなかったんだ。2回ほどビザの申請をしてみたけどダメだった。いつかは日本にも行ってみたいよ、でもそれは日本人と結婚する意外の選択肢はないね。ヨーロッパもアメリカも不法移民を恐れている、アフリカ人は信用ないんだよ。」
返す言葉がなかった。
たまたま日本に生まれて、海外に行ける信用があって、それは先代が築いてきた信用のおかげで。
「行けるけど行かない」と「行きたいけど行けない」
傍目から見れば同じ行動でも、この二つにはマリアナ海溝より深い違いが横たわっていて、それを今目の前でまざまざと見ている。
「いつか日本に来るときは必ず言ってよ、案内するよ。」
「ありがとう、またエジプト来てよ、旦那さんと一緒に。」
ナイル川に完全に夕陽が沈み、群青色の空に変わっていくこの瞬間。
私は彼と話したことをずっと忘れないだろうと思った。