アスワンで迎えるエジプト最後の朝、いつも通り5時にアザーンで目が覚める。
前日は疲れてバタンキューだったので、チェックインを振り返ってみる。
オベリスクナイルホテルはアスワンの4つ星ホテルで、15時チェックインだったのに11時に部屋に案内してくれた。9月の昼間、40度近くあるアスワンで部屋に入れてくれたのはありがたかった。その時もらったウェルカムドリンクのハイビスカスジュースがとびきり美味しかった。
大通りに面したこのホテルは、入り口にセキュリティーチェックがあるちゃんとした宿でバックパッカーの時は見向きもしないような立派なホテルだった。でもなぜか安くて、ツインで1万円くらいだった。
1泊3000円くらいの安宿で、現地のスタッフとお喋りするのも楽しいがこれはこれでまたいいのかもしれない。確かめるまでもなくホットシャワーはもちろん出た。
とにかく暑い8月のアスワン、昼間に洗濯してちょっと外に出しておけば1時間以内に乾く。エアコンのない時代もここで人々は生活していたんだなあ、とエアコンの効いた部屋から外を見て出たくないと思った。
夕方のアザーンが聞こえてきた頃にようやく重い腰を上げて、アフメッドがおすすめしてくれたレストランに歩いて向かった。
夕方とはいえまだまだ暑い。汗をかきながらレストランにたどり着いたが、お客さんは誰もおらず電気も消えている。
「あの、レストランやってますか?」
「やってるよ、入んな。」
エジプト人のおっちゃんがメニューをくれた。英語メニューだ、しかもローカルプライスだった。
注文してすぐにフムス(ひよこ豆のペースト)と平べったいパンが出てきた。これがちょうどいい塩加減で、これだけでもいいくらいだ。
チキンも何で味付けしているかわからなかったがとにかく美味しかった。
食べながら外を見ると、野良犬がウロウロとご飯を探して彷徨っている傍でエジプト人のおっちゃんたちがボードゲームをしている。お母さんたちが子どもの手を引いて歩いている横で、まだ小学生くらいの子がジュースの移動販売をしていた。
エジプト、楽しかったなぁと余韻に浸りながら最後の晩餐を終えて宿に戻り眠りについた。
最終日、フライトが20時過ぎだったのでアスワンのマーケットを歩いてみることにした。
母とキョロキョロしながらマーケットを歩いていると、ハイビスカスやスパイスがたくさん積んであるお店がいくつもあった。ハイビスカスジュースが美味しかったので欲しかったが、この先のことを考えると荷物を増やすわけには行かなかったので諦めた。
ふと、目の前を歩いている女性が荷物を落とした。
落としたというか、大きな袋を片手に3個ずつ下げて、持ち直すために地面に置いたという感じだった。持ち直そうにもパンパンの袋を2個、もう片手に3個の状態でうまく掴めない。
私は袋を持ち上げて、ジェスチャーで「同じ方向に進むし、持ちますよ」と伝えると女性もアラビア語で何か言っているがわからなかった。
すると、横のカフェからお兄さんがやってきて英語で「お母さん、ストロングだから一人で大丈夫!でも手伝ってくれようとしてありがとうって言ってるよ。」
なるほど、ママがストロングなのは世界各国同じなのだな、と納得して彼女の手に3つ目の袋を掛けると「シュクラン!(ありがとう)」と人混みの中に消えていった。
お兄さんの名前はマフメッドといった。
「ここで働いてるんだけど、一部始終見てたんだよ。君は本当に美しい心を持ってるね、僕は見ててすごく嬉しかったよ。お土産なんか一個プレゼントするよ。」
丁重に断ったが、嵩張らない持ち運びも簡単な栞を私と母に1つずつプレゼントしてくれた。
エジプト最後の日に、やっぱりエジプトっていいなあと思える出会いだった。
アスワン市内から空港まではタクシーしか移動手段がないので、ホテルで25ドル払ってアスワン空港へ。(これはすごく高いので、参考程度にどうぞ)
サラバ!エジプト!また来る日まで。
そして私と母は次なる目的地「タンザニア」へと向かったのだが、アスワンの出発時刻が変更となり当初予定していたアスワンーカイローダルエスサラーム(タンザニア)ではなく、アスワンーカイローナイロビ(ケニア)ーダルエスサラームへと変更を余儀なくされたのだった。
そしてこれが、いろいろなトラブルを巻き起こす第一歩となるのを、この時はまだ知る由もなかった。
次回、タンザニアで待つマサイ夫に無事に会えるのか?!半年ぶりの再会編