10月の終わり頃、私はロマと一緒に生まれ故郷に帰っていた。
紀伊半島の山の中にある私の故郷は大阪から公共機関で向かうと、東京に行くより時間がかかる。同じ近畿圏内にあるのに、だ。
その理由は途中で電車が消滅するから。レールがね、ないんです。
レールに敷かれた道なんて…!とか言ってる場合ではない、レール敷いてください。
利用者少なすぎるから無理なんだけど、戦前は木材を運ぶために鉄道計画もあった。
河瀬直美監督の作品「萌の朱雀」で鉄道計画について描かれているので興味のある方はぜひ。
故郷は最寄り駅まで遠い自治体のTOP5にランクインしているらしい、徒歩で5時間かかるんだとか。ちっともも寄ってない最寄り駅。でも1位の自治体はもっと遠かったから、上には上がいる。
電車で大和八木駅まで行って、そのあとは日本一長い路線バスに揺られて4時間半かかる。(その最後の頼りのバスは上り下り共に1日3運行。)
4時間半って海外だったらどこまで行ける?韓国、台湾、グアムは行ける範疇。
そんな海外より遠い我が故郷に、1万1000km彼方のタンザニアからやってきたロマを連れて帰省した。タンザニアに比べれば遥かに近場だ!なんていよいよ感覚が麻痺してきた。
ちなみに車だったら2時間半くらいで着くけれど、私は20年目のゴールド免許保持ペーパードライバーなので無理は禁物、安全第一。
朝8時くらいに家を出て、着いたのは15時半。
今は誰も住んでいない実家に帰って、荷解きをする。
人が住まなくなって数年で、庭はジャングルと化し水道栓を見つけるのも一苦労。かつて畑だったところは私の背より高い茅に覆われてブッシュになっていた。
暗くなる前に同級生のお母さんに会っておきたかった。
20年くらい会ってない同級生のお家まで、バイパスが開通してほとんど車が通らなくなった静かな道路をてくてく歩くこと10分。
「ピーンポーン。こんばんは、お久しぶりです、タタです。」
「えーーー!!久しぶり!上がって。言ってくれたら色々用意しておいたのに!」
ノーアポで20年ぶりのお宅訪問を敢行したため、おばさんとおじさんはびっくりしていた。
しかも、ロマを連れてきたから尚更驚いていた。
「何か飲む?ロマ君、ビールいける?」
「焼酎飲むか?」とおじさんが自分用にお湯割りを作っている。
おばさんと私はFacebookで時々連絡をとっていたので、私がロマと結婚したことは知っていた。まさか今日来るとは思ってなかったと思うけれど。
この田舎で、コンビニなんていう物はなく、スーパーも閉まっちゃってるこの時間帯(19時くらい)に突如やってきた娘の同級生に夕ご飯を用意してくれるおばさん。
長いこと連絡をとってなかった同級生にもおばさんを通じて電話で話が出来た。
懐かしい話に花を咲かせ、晩ごはんをご馳走になり明日の予定を聞かれた。
「明日、朝一番のバスで帰るよ。」
「明日は神社の年に一回の例祭やで、寄ってから帰りよ。」
「車もないし、神社行って帰ってきたら帰りのバスがないから帰るよ〜。」
「連れてったるで。ほんで帰りも電車あるとこまで送ったるから、ゆっくりしてけよ。」
おじさんとおばさんのお言葉に甘えて、明日は神社に連れて行ってもらうことにした。
家までてくてく歩いて帰ってきた頃、幼馴染が仕事終わりに家に寄ってくれた。
「これ、水道のフィルターなんやけどタンザニアでつこてみ。」
以前、泥水を茶漉しで漉して飲用水にしていることを話したのを覚えてくれていて、業者用のフィルターの端っこを分けてくれた。
端っこって言っても1mくらいある立派なフィルター、茶漉しより遥かに濾過してくれるだろう。ありがたくいただくことにした。
そろそろ寝ようかと、ロマに声をかけると返事がない。何してるのかと覗いたら祖母が使っていたマッサージ機に夢中になっていた。
「これで商売できるよ〜!」
マサイ夫マッサージチェア初体験は良かった模様。
タンザニアまで輸送が大変すぎるので持ち帰りは却下。
真っ暗でしんと静まり返った夜に時折、野生動物の鳴き声が聞こえる。
15歳までここで育った昔を懐かしいなと思いながら、明日のお祭りを楽しみに眠りについた。
次回、神社の祭りで偶然の再会。
雨上がりの村の風景