メイタタのしもべ日記

タンザニアのマサイ村に嫁いだ日本人の日常

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バーの閉店

ついに私たちの初めての事業だったバーを閉店した。

2024年の3月から1年4ヶ月、初めてのお店は内装から作って試行錯誤しながら今日までやってきた(ロマが)。

私はオーナーだが、実質お店の事はほとんどノータッチで時々手伝いに行くくらいだった。

手伝うと言っても、スワヒリ語は挨拶程度、お店に置いてあるドリンクの価格も知らないような所からスタートして、最後の方はなんとか注文を聞いて商品を出してお金を受け取るという基本動作が出来るようになった。

私がいたところで役に立っていたかは不明だが、それでも常連さんには「なんで閉めちゃうの?」と残念がられ、少し寂しい気もする。

 


バーをしたいとロマに言われた時は、夜の仕事だし危ないからやめて欲しいなと思った事もあったけれど、トライもしないうちから「ダメダメ!」とは言いたくなかった。

自分達でお商売をしてお金を稼ぐ、良い経験かと思い開業に踏み切った。

ロマはザンジバル島でレストランやバーで働いたことがあり、接客は慣れていた。

何より、言われなくてもお客さんが求めていることをキャッチするのが上手で、物腰も柔らかく接客に向いてるタイプだった。

 


閉店の理由はいくつかある、ロマが昼から朝方まで働いて時にはそのまま次の営業に入って3日間帰ってこないとか、酔っ払いの喧嘩だとか、会計未払いだとか横領だとか。

酔っ払いの相手ほどややこしい事はない。何度も筋の通らない事を繰り返し訴える酔っ払い相手に辛抱強く説明して会計を払ってもらう。

時には家族に連絡して店に迎えにきてもらったりもした。

それから横領、人を雇うのって難しい。

日本みたいにバイトを雇うのに履歴書などない。

どうやって雇うかというと、誰かの推薦や近所の人に声をかけて雇うのだが、必ず保証人のような人がいてトラブルがあればその保証人が出てくるのだ。

もしくは家族全員知ってる、逃げも隠れもしません!な人を雇う。

それでもトラブルはつきもので、うちみたいな小さなお店ですらコレなら大きな会社は大変だなと思う。

後は同業者が増えたこと。

うちのバーが出来た後に、つい近所に3つバーが出来た。

それでも細々と、なんとか毎月食べていけるくらいの収益はあって、ママはそれを頼もしく思ってくれていた。

 


初めてのお店で学ぶ事も多かった。

発注の仕方、問屋さんどこが安いか、お金の管理、お客さんのニーズを汲み取って還元していく事、この経験はとても大きな財産になった。

赤字で閉めたわけではないので、残った資金を使って次のお店を建てる予定。

次の事業は私も積極的に関わって、地域の役に立つような、そんな小売店をやって行きたいと思う。

日々是勉強なり。