「すみません」
毎日この言葉を何度言っているのだろうか?
働いている1日のことを振り返ると、この言葉を発さない日はないのではないだろうか。
「お待たせしてすみません」「何度もすみません」「予約が取れなくてすみません」「急な勤務変更ですみません」「体調不良ですみません」
先日、エコーの予約を取ろうとした取れなかった。
これはシステムの問題で、私には何にもできない。技師さんの人数や勤務体制に左右されるので、出来ないものは出来ないのだ。
看護師の私には予約画面を開いて予約を取るだけなので、「予約止め」と書かれていたらそれ以上できることはない。一応検査室に電話して「無理ですかね?」と聞くのが関の山だ。
患者さんは「なんで予約できないんだ」と温度感高く「もういい、エコーは受けない」と言うし、そりゃそうだよなーと思う自分もいるが、出来ないもんは仕方ないし。と思う自分もいた。
結局、医師に確認してエコー検査は無しになった。
こんな時に思う、これ私は何に対して謝っているのだろうか?
患者さんの「エコー予約が取れない」というシステムに対する苛立ちを、私が謝ることによってケアをしているのだ。
よく「あんたに言っても仕方ないけど」と言ってくる患者さんは一定数いて、やり場のない感情を誰かに受け取って欲しいのだろうと思う。そして、自分は何にもしてないのになと思うけど(気分を不快にさせて)すみません、と謝る。
相手の感情のケアのための謝罪が多いのが日本社会。
一方、タンザニアでは謝罪の言葉をほとんど聞かない。
約束の時間に遅れて来ようが、なんならその日に来なかろうが、役所に指定された日にちに行って「今日会議やし無理やで。なんで昨日リマインドしてくれんかったん?」と逆に責められることがあっても、謝罪されることはない。
なぜならば、それは自分のミスではないからだ。
天候のせいで交通機関が麻痺して来れなかった、急に家族の体調が悪くなって病院に行っていた、リマインドしなかったあんたが悪い。
一度、ダルエスサラームで宿の予約をして、着いたら予約が取れていなかったことがある。
日本なら「申し訳ございません」と言われる場面でも「いや、システムに予約入ってないから。入ってないもんは無理やから。」起きた事象は気の毒だが、これは私たちのミスではありませんと言う毅然とした態度。
その昔、トルコのイスタンブールでインドのVISAを取った時も「これ、書類不備だから今日は手続きできません」翌日「写真、このサイズじゃダメよ」翌々日にようやく申請できたと思って後日取りに行くとマルチプル(何度も出入りできるVISA)で申請したのに、手元にもらったのはシングルVISA(1回のみの入国)だった。
「マルチプルで申請したんですけど…」
「知らないわよ、VISA発行は私の仕事じゃないもの。マルチプルがいいんだったらもう一回申請したら?」
おっしゃる通りです…
結局、時間がなくてシングルVISAでインドに入り、のちに別の国でVISAを取り直す羽目になった。
この後行ったインドでも、とにかく謝らない文化に揉まれて、いや私が謝りすぎなのかもしれないと思った十数年前。
足して2で割ったくらいの謝罪文化はどこかにないのだろうか?
謝りすぎると卑屈になるし、かといってこの場面は謝った方が丸く治るよなぁなんて思うこともしばしば。
今日も日本人の私は、心の中では関東土下座組を飼いながらどうにもならない事に謝罪をするのであった。