私はペーパードライバーで、今年で丸20年になる。
自動車学校を出た後、1年間くらいちょろっと運転して京都の便利なところに来ちゃったもんだからそこから全く乗らなくなった。
一番長い走行距離は、奈良の西大寺から京都市内までアジカンのソルファを聴きながら引っ越しした事くらいだ。
地図もまともに読めないのに、カーナビなしでどうやって京都まで行ったんだろう、バックで駐車もできないのに(前向き駐車オンリー)。今思えば一人で奈良から京都まで運転したなんて、本当に無謀で謎の勇気があったんだと感心する。
乗らない時間が長ければ長いほど運転が怖いし、何より京都や大阪で公共交通機関が充実している場所で車を持つ意味もなかったので、長い間私の免許証は身分証明のためだけに使われていた。
時々、実家の十津川村に帰ったり旅先で運転できたらなぁと思うことはあっても行動に移すまでには至らなかった。
タンザニアのマサイ村ではバイク移動が基本で、ロマかバイクタクシーに頼らなくてはどこにも行けない現状だった。何とか自分で車を運転してどこかに行けるようにならないか。
そう考え始めた去年の今頃。
日本に帰ってきて、十津川村に行く時もバスが3回/日しかないので車に乗れた方が良い。
さらに最近はロマが大阪で働き始めて、しかも駅から車で20分くらいかかる場所なので毎回タクシーを使うのも気が引ける。
色々な条件が重なって、ついに重い腰を上げて出張型ペーパードライバー教習を申し込んだ。
初日の講習は大雨だった。
待ち合わせ場所に行くと、教習の先生がいて早速話が始まった。
どういう経緯でペーパードライバーになって、何年乗ってなくて、今回どうしてまた乗りたい(乗る必要が出てきた)のか?
先生の手元にある書類に書き込まれていく。
「じゃあ免許取ってからほとんど乗る機会なくペーパーになったんですね、20年と。」
助手席で話を聞く私に、先生は驚くべきことを言った。
「ここから少し郊外の方に出て練習しますけど、ここでて左折して真っ直ぐ行ったところなんですよ。こっから運転します?」
驚いた。自分で申し込んでおいて何を驚くことがあるか、とも思うがいきなり運転する心構えが足りなかった。
「すみません、着いてからでお願いします。」
雨は容赦なく降っている、私はワイパーの動かし方すら忘れている。
少し走った場所で、車通りも少なくなった2車線の広い道路で私は20年ぶりに運転席に座った。
「まず、椅子の調整をしましょう。それからミラーの調整です。」
まず椅子を前後に動かすレバーを探すところからスタート、不安がよぎる。
ブレーキが踏み込める場所にセットして、ハンドルと腕の位置も決める。
ミラーを調整していざ出発。
車校に行ってた頃は鍵さしてエンジンつけてたのに、今はスイッチ、頭の中は???サイドブレーキは踏むようになってるしこの時点で目眩がする。
ウインカーを出していざ出発!
怖いーーーちょっとアクセル踏んだらめっちゃ進むんですけど?!
真っ直ぐ進むのでさえ車体感覚がないので、真ん中を走れる気がしない。
「じゃあ次の信号を左折していきましょう。」
左折?!
どうするんだっけ???目視だよね?!巻き込み確認?
「その次に右折もやりましょう。」
右折???!!!
そんなの核ボタンのスイッチをチンパンジーに掃除させるくらい危ない。全く自分を信用できないまま、先生の言うことだけを聞いて何とかこの日の教習を終えた。
「お疲れ様でした、タタさんの目標の十津川村まで運転して帰るを叶えるにはざっと20時限必要かと思います。」
20時限、今日のこの感じで本当に20時限ぽっちで一人で運転できるようになるのだろうか?視野が狭すぎて「もっと先を見て、次の信号どうなってますか?時々バックミラーも見て後ろの確認も忘れずに。曲がる方向の先を見てくださいね。あと速度計も、この道40キロ制限ですよ。」と先生は言うのだが、必死すぎる私は前の車にぶつからないようにするだけで精一杯。
バックミラーも速度計も見たくても見れません。
「何か質問はありますか?」
「あの、20年もペーパーだった人間の運転する車に乗るって怖くないですか?」
仕事とはいえ絶対嫌に決まってる、初心者より恐ろしいはずだ。
「補助ブレーキありますし、大丈夫ですよ。」
そう言って笑ってくれる先生はプロだった。
目標は秋までに独り立ちすること。
レンタカーでロマを迎えに行って、びっくりさせよう大作戦が今静かに始まった。