メイタタのしもべ日記

マサイ族の彼氏と遠距離恋愛中の看護師

キリマンジャロ登山④2日目ホロンボハット

2日目の朝6時半、日の出とともに目が覚めた。

体の疲れは感じず筋肉痛もなかった。

 

登山経験はほぼ無いといっても過言ではなかったので、日本に居るうちに出来るだけ走ったり山に登る練習をした。やらないよりはマシ!と思いながら朝5時に起きて5㎞走ったり歩いたりして金剛山に2回、六甲山に1回登った。

前回、インドのダージリンで泣きながらサンダクプー縦走したのをすっかり忘れている私。あの時は地球の歩き方に「初心者でも大丈夫。」と書いてあったのを信じて3泊4日縦走したら、1日目から辛すぎてガイドのジェームス(おっちゃん)に泣きながらもう無理ですとすがった思い出。

初心者って登山初心者の事で、普段なんにもしていない人間が挑戦するには敷居が高かった。

 

人間は忘れる生き物で、あんなに辛かったサンダクプー登山を忘れて良いところだけ思い出しちゃうから今回のキリマンジャロはほんの少しだけ準備をしていった。ちゃんとする人は高地トレーニングとか室内で低酸素に慣れるトレーニングをするみたいなのでそちらをご参考に。

 

マンダラハットからホロンボハットまで11㎞の道のりを歩く。

10月~11月は小雨期と呼ばれており、出発する日も曇り空だったが2日目は晴天。ジャングルを抜け、ブルーモンキーを眺めながらゆっくり歩く。

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とにかく高山病対策で大事なのはゆっくり歩くことで、ガイドのハミシがペースを作ってくれるが「ポレポレ」とスピードが出すぎないように調整してくれた。「ポレポレ」とはスワヒリ語で「ゆっくり」という意味。

 

キリマンジャロで見られる植物を見ながら歩いていると、エレファントトランクという赤い小さな花が咲いていた。横から見ると確かに象の形をしている。

 

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朝8時に出発して、ホロンボハット(3720m)に14時半到着。幸い高山病の症状もなく、元気に到着できた。

このホロンボハットのキャンプ、なんとWi-Fiが飛んでいてしかも宿より速かった!

周りの登山者もここぞとばかりに電話をかけている。

夕ご飯をお腹いっぱい食べて就寝。

 

 

 

 

私が働く理由

瞬きしたら6月だった。

のんびりした4月から、再就職して怒涛の5月が昨日で終わりを迎えた。

 

久しぶりの手術室で、やればなんとなく思い出すけれど勉強しなおすことが多くて脳がキャパオーバー。がんばれ私の脳、応援している。

 

とはいえ、全く知識がない訳でもないのでまだマシなのだと思う。

コッヘル、ペアン、モスキート。器械の名前は一度覚えれば変わることがない。新しいデバイスはちょっと厄介、でも基本的な操作は似ているので何とかなっている。

昔取った杵柄とはまさにこの事。若い頃の苦労は買ってでもしろと言うが、昔の頑張った自分にお礼を言いたい。

今も結構無理して働いているが、今日が一番若いんだから今無理しなくていつするの?!と自分に言い聞かせて勤労に励んでいる。

 

というのも、昼に看護師の仕事をして夜はスナックで働き、休みの日は単発バイトを入れるという無双ぶり。トリプルワーク、こんなに働いた事あったっけ?病棟勤務の時は拘束時間が長過ぎてクタクタで出来なかった。手術室は病棟に比べればまだ体力温存が出来るので、体力の続く限りは頑張って働く。

 

冬まで頑張って働いて、ロマのいるタンザニア渡航して、ロマと家族とクリスマスを祝うという目標に向かって蓄財中。

 

実のところ、私にはやりたい事があってその為に頑張って働いている。

それは4番目の妹、モニカの病気を治すこと。

彼女は14歳の女の子で、私と一番仲が良い元気で可愛い妹だ。4年前から原因不明の意識消失をほぼ毎日繰り返している。

私がマサイ村に滞在している時もほぼ毎日倒れていた。症状を見るに、完全意識消失型てんかん発作なのだと思う。色んな病院に行ったが、確定診断がつかなかった。

確定診断がつかないため、治療法も確立せず、発作が起きるたびにお祈りに行く。

お祈りを否定する訳ではないが、それでは良くならん!!

 

ならば私がお金を稼いでモニカを治せる病院に連れて行く。この発作のせいでしばらく学校にも行けてないモニカ。病気をコントロールして学校に行けるようにサポートするのが私の役目だ、と勝手に思っている。

 

袖触れ合うも他生の縁、私が出来ることは限られているけれどやれるだけやってみる。

やれっこないをやらなくちゃ。

 

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キリマンジャロ登山③1日目マンダラハット

入山ゲートをくぐるときに、身体チェックと荷物チェックを受けた。

どうやらドローンを飛ばして、墜落するという事故があったので持ち込み禁止らしい。あとは危険物の持ち込みも禁止。

もちろん持っていないのですぐに通してくれた。

 

12時半に出発。

ジャングルのような熱帯雨林の中をガイドのハミシと2人で歩いていく。

ポーターのエリナが私の荷物を運んでくれるので、私は最小限の荷物だけ背負って歩く。コックとアシスタントガイド、ポーターは別ルートで先に行っているのでガイドと私だけが誰もいない山道を歩く。

ハミシが英語で話しかけてくれるが、言葉が出てこない。向こうが言うことはなんとなく理解できても、自分の言いたいことは3割も言えないもどかしさ。

これを味わうたびに「英語もっと練習しよう」と思い始めて早10年、もっと強い意志を持つか、喋らなければやっていけない環境まで自分を追い込むしかこの問題は解決されそうもない。

ヘラヘライングリッシュでなんとかコミュニケーションをとりながらゆっくりと進んでいく。

 

日本を出発するその日に、梅田の石井スポーツ店に行きインナーを買った。

店員さんに「キリマンジャロに行くんですけど、どれがいいですか?」と相談して2枚買った。店員さん曰くキリマンジャロ登山は出発ゲートから2日目くらいまでは暑いけど、そのあとは標高が3000mを超えてくるので寒くなる。そしてシャワーもないから、臭いも抑えらえるほうがいい。

おすすめしてもらったインナーを2枚買い、「楽しんできてください!」と送り出してもらった。

 

 

確かに暑い、半そでで歩いていると汗が滴るくらいの気候だった。

なだらかな勾配をてくてく歩く、登山というよりはハイキングだ。

途中で休憩してお昼ごはんのランチボックスを食べた、お米とチキンが入っていて美味しかった。休憩すると汗が冷えて寒いので、薄い羽織は持っておいた方が良い。

特に疲れることもなく16時半に本日の目的地「マンダラハット2720m」に到着。

泊まる山小屋も閑散期のため4人部屋に私一人。なんとこの山小屋、充電ができる!

近代化の波を感じ、でも近くには野生の猿が歩いているマンダラハットで夕食を食べて一泊。

 

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祝5000PV

このブログのアクセスが5000PVを超えた。

1ヶ月100万PVとかに比べれば、5ヶ月で5000回なんて小さな数字かもしれない。

 

でも、見ず知らずの人が覗いていってくれた回数が5000回!!

これって凄いことだと思う。うちの村の人口超えてる(基準はココ)。

今月だけで1000PV!みてくれた人ありがとうございます。有益な情報は一切出てきませんが、今後ともよろしくお願いします。

 

文章を書いて良かったことは、取り止めのない文章を書いているうちに自分の思考が整理されるのと記録として残るのが良い。

どんなへっぽこな文章でも、後で読み返して「こんな事あったなぁ」と振り返ることが出来る。なんなら書き直しも出来る。リライトしてーーーーー!

 

リライトといえば、アジカンがツアーを発表した。1年くらいライブに行けてないので今回のツアーは行きたい。

サーフブンガクカマクラツアー!!サーフブンガクカマクラ発売から15年も経ってることに驚いた。江ノ島エスカーを口ずさみながら江ノ島を訪れたのも10年以上前か、当時捻挫して足首の筋が伸びきって足にギプス嵌めたまま訪れた江ノ島の思い出。トンビにおにぎり持ってかれたなあ。

 

ずーっと取れなかったエルレのチケットがついに当たって、8月に人生初めての3Dエルレを拝めることとなった。8月に照準を合わせて体力作りをしよう、あと怪我しないように生きよう。

 

楽しい夏の始まりの予感。

 

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キリマンジャロ登山②準備~出発編

無事にタンザニアに入国。

キリマンジャロのふもとの町、モシに着いてClimbers Homeにチェックインして朝を迎えた。

 

朝からオーナーのエラストと、どのコースを選ぶか相談した。

キリマンジャロには登山ルートがおおまかに5つある、難易度と日数、料金に差が出るのでエラストが選択肢を提示してくれた。

唯一、山小屋が設置されているマラングルート(別名コカ・コーラルート)かテント泊でマチャメルートかどちらかが良いだろうとのこと。

 

マラングルートは登山初心者の私にとっては安心できる道、料金1250ドル。

マチャメルートはテント泊で壮大な自然と触れ合える道、テントなどの荷物が増えるためポーターも増える。料金1450ドル。

上記の条件に加えてチップも発生する、2022年10月は円安ドル高が急激に進行したため予定していた料金より高くなってしまった。(2022年10月25日1ドル148円)

しかもクレジットカード手数料で5%上乗せ、迷いなくマラングルートを選択した。

 

次に装備品をレンタルしにお店へ向かった。

エジプトからそのまま来たので、自分の持ってきた装備は靴とヘッドライトとハイドレーションパック(水をパックに入れてホースで水分補給ができるグッズ)の3点のみ。

防寒具やステッキ、帽子、マスク、手袋、インナー、寝袋などなど全部で85ドル。薬局に寄って高山病の薬ダイアモックスを3000シリング(180円)で購入。

スーパーで補給食の飴やチョコを買って準備は万端。

 

キリマンジャロは単独では入山できない、ガイドやポーター、コックを雇って登山することになる。私のガイドを務めることになったハミシは、私にいくつか質問をしてきた。

1日に何回食事をとるか、水分はどれくらい飲むのか、これまでの登山経験など。

キリマンジャロは5895メートル、アフリカ大陸最高峰だ。

世界7大峰の中で一番登山技術を必要としない、誰でも挑戦できる山。とはいえ、5895メートル、一番危惧されるのが高山病だ。

ダイアモックスを予防的に飲む以外に、食事・水分をしっかりとる必要がある。水分にいたっては3L/日最低飲むように言われた。

 

「今までどんな山に登ったの?」

金剛山と六甲山。」

「それって標高は?」

「1000メートルくらいだよ。」

キリマンジャロのゲートがだいたい1000mから始まるよ。」

世界一周の最中にインドのダージリンから3泊4日でサンダクプー山(3636m)に行ったことはあるが、辛かった記憶を脳の深淵に沈めてあるので申告しなかった。

 

3000メートルくらいから高山病の症状が出やすくなるらしい、こればかりは行ってみないと分からないのでとりあえず前日は早めにベッドに入った。

翌朝、ガイドのハミシ、アシスタントガイドのジョセフ、ポーターのエリナ、コックのエリックの4人と一緒に出発。

「あれ?お客さん私だけ?」

「もう一人いたんだけど、キャンセルになった。」

マラングルートのゲートまで車で行き、ハミシが入山の手続きをしている。

ストレッチをしながら、みんなを待つ。手続きが終わっていよいよ出発。

今日から始まる5泊6日をワクワクと少しの不安を抱えて入山ゲートをくぐった。

 

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40歳になったので振り返ってみる

本日こんにゃく(5/29)の日に40歳になった。

大きなケガも病気もせず、40歳になれたことを本当に嬉しく思う。

レベル40、地球デビュー40周年、地球が太陽の周りを40回公転。

 

20歳までの20年と、20歳からの20年。

大人になってからの時間はあっという間に過ぎたように思う。子どもの頃のように入学式や卒業式など節目の行事もないし、区切りのない時間軸の中で自分のやりたいように生きていたら気が付けばあっという間に時間が経っていた。

せっかくなので20歳から現在までを年表で振り返ってみる。

 

2003年 20歳父逝去。アジカンに出会う。

2004年 21歳卒論が出せずに卒業が危ぶまれる。 

2005年 22歳就職、忘年会に命を懸ける。

2006年 23歳初めての海外旅行。グアムでなまこを投げる。

2007年 24歳真冬の韓国で震えた同期旅行。

2008年 25歳初めてフランスに行く。

2009年 26歳自分が働いていた手術室で母の手術に立ち会う。

2010年 27歳夏フェスに行きまくる。毎週末全国行脚。

2011年 28歳イーオンに通う。

2012年 29歳退職してフィジーに語学留学→オーストラリアワーホリ。

2013年 30歳オーストラリアから帰国、期間雇用で再就職。

2014年 31歳友達と世界一周旅行を敢行。

2015年 32歳帰国。手術室派遣看護師となる。めいこがうちに来た年。

2016年 33歳再就職。ロードバイクにハマる。網走で流氷をみる。

2017年 34歳マンション35年ローンで購入。

2018年 35歳ポルトガルに行く。

2019年 36歳人生初ヘアードネーション

2020年 37歳カナダでオーロラを見る。コロナが流行った後の記憶がないくらい多忙。

2021年 38歳この年度で円満退職。

2022年 39歳アフリカ縦断。ロマに出会う。

2023年 40歳再就職。

 

こうしてみると、やっぱり旅を軸として20年楽しくやってきたことが分かる。

特に20代後半からの加速がすごい、再就職が割と簡単にできる業種なので軽率に辞めて旅に行く傾向あり。

年に1回バカンスがあればこんなに転職しなくても済んだのに…でも悔やんでることは一つもない。やりたいことをやって、貯金がなかろうが社畜になろうがそれもまた人生。

今後も楽しく、機嫌よく生きることを誓います。

 

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キリマンジャロ登山①序章~ふもとの町、モシを目指す~

タンザニアケニアの国境に聳え立つアフリカ最高峰の山、キリマンジャロ

昨年2022年の10月に私はこの山に登った。

 

10月25日キリマンジャロのふもとにある村、モシ(タンザニア)に着いた。

Booking.comで予約した宿にたどり着くまでがとても大変だった。エジプトのカイロから飛行機でタンザニアに行ったのだけれど、当初カイロ→ダルエスサラームキリマンジャロ空港の予定だった。

 

タンザニア入国2日前。

飛行機のオンラインチェックインをしようと開いた画面を三度見した。

カイロ→ダルエスサラーム→アルーシャ。アルーシャ…どこ???

当日、カイロの空港で上記を訴えてみた。

キリマンジャロ行きでチケット買ったんだけど、最終到着地がアルーシャになってるんです。」

ダルエスサラーム→アルーシャ行きはうちの会社じゃないから、ダルエスサラームで聞いて。Have a nice flight!Next please!!」

おじさんの言うことはもっともだが、アルーシャってどこやねん!不安を抱えてダルエスサラームへ。

「あのーキリマンジャロ空港に行きたいんですが、変更ってできますか?」

「ああ、到着地変わったのよ。アルーシャからバス出てるからそれ乗ってモシに行って。」

 

私は地球の歩き方愛読家だ。

しかし、地球の歩き方東アフリカ篇は2016-2017年版を最後に更新されていなかった。

初めて行く東アフリカ、最近行った人たちのTwitterやブログを読み漁り情報収集するしかなかった。まずどうやってアルーシャ空港からバスステーションまで行くか、バスのチケットの買い方乗り方、モシのバスステーションから宿の行き方。

初見の国で確かな情報もない中で、難易度高め。

しかも宿にキリマンジャロ空港からのピックアップを頼んでいたから、それも断らなければならない。

 

ぼんやりとフライトを待っていると、先ほどの航空会社窓口のお姉さんが私の方に向かって歩いてくる。

「早くチェックインカウンター行って、あなたを待ってるのよ!」

時刻は朝6時過ぎ。手元にあるチケットには12時半出発と印字されている、なんで?

わからないがチェックインカウンターに行ってみるとこれまた不機嫌なお姉さんが待っていて「早く!こっちよ!!」と急かされる。

どうやら6時半に出発するらしい。とりあえず空港のWi-Fiをひろって宿にメールでアルーシャに着くことになった旨を送ったらすぐに返信が来た。

「アルーシャ空港まで同じ値段(30ドル)で迎えに行ってあげるよ。」

神様…!

アルーシャ空港とキリマンジャロ空港は車で1時間かかる。キリマンジャロ空港からモシまでも1時間かかる。倍の距離になるのに、わざわざ同料金で迎えに来てくれるというのだ。ありがとうエラスト(宿のオーナー)!!

 

これでなんとかなる、飛行機に乗り込み安堵からすぐに眠りについた。

ガタン。

ん?時刻は7時、30分しか経ってないのに着陸している。隣の人に詳細を聞くと機械トラブルで引き返したのだ。確かに離陸前と同じ光景が広がっている。

乗客全員降りてもう一度身体チェックゲートをくぐり、同じ飛行機に乗る。本当に時間通り着くのか募る不安。

 

今度こそ…10時に着くって言っちゃったから、お願いだから飛んで。

1時間後。ガタン…窓の外を見ると「ザンジバル空港」と書いてある建物が見える。もう諦め半分、私はどこに連れていかれるのだろう?不思議なことに乗客の半分くらいがゾロゾロと降りていくが、半分くらいは座っている。

後ろの席のご婦人に「これってアルーシャ行きます?」と聞いてみると「そうよ、そのまま座ってたらいいのよ。」

 

まるでバスや電車のよう。

飛行機で途中下車あるのか、とにかくアルーシャに行けるなら何でもいい!

ドキドキしていると9時半にアルーシャ空港到着。間に合った、飛行機を降りて待合所のようなテントでお迎えを待つ。

タクシーのおっちゃんたちが「Taxi??」と寄ってくる。

「宿の迎えをまってるの。」

「どこの宿?」

「モシのClimbers Home。」

「オッケー待ってて」

おっちゃんはわざわざ宿に電話してくれて、ドライバーがもうすぐ着くからここで待ってるように教えてくれた。しかもチップも強要されなかった、ただのいい人。

 

10分後。宿のお迎えが私の名前プレートを持って来てくれた瞬間、涙が出るくらい嬉しかった。2時間車に揺られてモシについた。

宿でツアーも取り扱っていたのでキリマンジャロに登りたい旨を伝え、明日登山グッズのレンタルに行くことが決まった。

 

小さな町を歩いてみる。

雲の切れ間からキリマンジャロが見えている。本当にあそこに登るのか、不思議な気持ちで夕暮れのキリマンジャロを眺めていた。

 

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