朝、暗がりの中で目が覚めた。
隣にロマがいない。入院していることを思い出す、夢じゃなかったんだと眠い目を擦る。
朝ごはんにフルーツを買い、ボダボダに揺られて病院に向かう。
病室に入るとお粥を食べているロマの姿があった。マサイの青年が買って来てくれたのだ。
しばらく病棟の様子を見ていてわかったのだが、食事は家族か付き添いの人が持ってこなければならない。病院が提供するのは「治療」だけのようだ。
ロマは点滴を受けながら昨日起こったことを聞いてきた。
「フェリー乗り場までは覚えてるけど、そっからは何も。気がついたら病院だった。」
「救急車乗ったんだよ。」
「全然知らない、ありがとう傍にいてくれて。」
お粥を全部飲み干して、食欲は出て来たようだ。
看護師さんから朝のウォーキングカンファレンスが始まるから、一旦外で待つよう案内された。医師がカルテを持って患者さんのベッドサイドで今までの経過と治療、これからの治療を話し合うのだ。
まるで集中治療室みたいだと思いながら外に出た。病室を出る時にふと重症患者のベッドが空いているのが見えた、そしてまた新しい重症患者が酸素投与を受けている。
政府経営の病院だと教えてもらったが、確かにその広さと人の多さは前回行った病院より大きい。日本と比べると、環境はずいぶん違う。
ベッドはマットレスが敷いてあり、シーツと枕はあるが掛け布団はない。
シーツをもう一枚かけるのが基本のようだ。他の患者を見渡すと、毛布や枕が欲しければ家族が用意して持って来ているようだった。
食事も出ない、体を拭いたり着替えをしたりも家族がするので家族がいない人はどうするのだろうと不思議に思う。もちろん入院診療計画書などの書類も一切見なかった、紙カルテで運用されており、ネームバンドやベッドネームはない。どのように本人確認がなされているのか聞いてみたかったが忙しそうだったのでやめた。
ナースコールはもちろんない、ちなみに初めてナースコールを作ったのはナイチンゲールだそうだ。私が働いていた時はナースコールによる作業中断が多過ぎて辟易したものだ。
「看護師さん、リモコンとって」「ティッシュ落ちた」「ケータイの使い方わからん」「今何時?」「コーヒーと新聞買ってきて」
医療とは関係ないナースコールの多いこと多いこと…わしゃ女中か!
日本は高度な医療を平等に受けられる環境で恵まれていると思う。けど、その反面これが本当にいい治療なんだろうかと悩むことも多かった病棟時代。
日本とザンジバル島の病院の違いを見て、ここはこうしたらいいのにとか日本もこうしたらいいのに、なんて考えているうちにカンファレンスが終わった。
お昼ご飯に鶏の焼き鳥みたいなものを買って持っていったが、あまり食べられなかった。
看護師さんが私のところに来て「ご飯どれくらい食べられましたか?」と聞くので「半分くらいですかね。」
「それだけしか食べてないんですか?もっと食べさせてください。」
「まだあまり食欲ないみたいで。」
「患者が食欲ないのは当然です。何か食べられるもの選んで持って来てください!」
まるで看護学生時代に戻ったような気がした。ヘンダーソンの14項目を充足させなければ!!(遠い記憶)
そして、本日も治療続行のため退院できずまだ見通しがたたないのであった。
日本に帰るフライトまであと4日。
果たして無事に帰れるのか?!
ザンジバルドアが渋いCT室