初めての受験は高校受験だった。
私は村を出て、ちょっと街の高校を受験したので前日から母とホテルに泊まっていた。
私の学業成績は下の上くらいで、なんとかこの高校に引っかかるだろう、だめなら村の高校に二次試験でいこうくらいに思っていた。
前夜に母の目の前でマンガを読み始めた私に、「お願いだから、今日くらいは勉強してるフリをしてお母さんを安心させてください。」と懇願する母。
今思えば本当に親不孝だったと思う。フリくらいしてあげれば良かった。
奇跡的にその高校に受かり、相変わらず勉強もせず3年間が経った。
次は大学受験。
大学に行けるだけの学力はもちろんなく、担任のO先生が頑張ってくれたので看護短大を推薦で受けることになった。
高校は寮に住んでいたので、周りの寮生達が「忘れ物多いんやから、絶対受験票は持っていくんやで」と受験票をカバンに用意してくれた。
そのカバンを持って翌日受験会場に到着、中には財布と受験票だけが入っていた。
同じ高校から何人か受験に来ていたので、席が近かった子に「ごめん、筆記用具忘れてん。予備あったらかしてくれん?」彼女は慌てて鉛筆と消しゴムを貸してくれた。明らかに動揺していた。
ちなみに時計も忘れて、会場にも時計がなかったのでとにかく最速で仕上げるしかなかった。小論文のテストが始まり、配布した資料について自分の考えを述べよという命題で、配られた資料は英文だった。
終わった。何も読めない、と思いきや資料に羊の絵が記されている。隣にはDollyと書いてある。「ドリーってクローンの羊やん、そうか、クローンについて書けばいいんか!」長文読解をすべて諦めて、誰よりも早く小論文を書き始めた。
後に隣の席の子が「この早さで書き出すとか、天才かバカのどちらかやと思った。」
何故か看護短大に受かり、また勉強もせず親の肝を冷やし3年が過ぎた。
最終関門の国家試験がやってきた。
これはさすがに運ではどうにもならない、が、試験が嫌すぎてみんながQB(辞書みたいに分厚い過去問題集)を何周もしている間に毎日プールに通い5km泳いでいた。
母はもう何も言わなかった。
勉強のできる子が心配して「これだけはやっとかなあかんで」と必修問題集をくれたり、励ましてくれたおかげで晴れて国家試験に合格した。
高跳び選手がバーをギリギリでクリアするくらいのギリギリ具合の点数だったが、なんとか受かって看護師になった。
手術室に配属されたその日から辞めるまでの7年間毎日勉強した。
今までのサボっていた分を取り返すように勉強した。
学生時代にもっと勉強しておけばよかったと思うけれど、きっとその時はその時で何か別のことに夢中だったのだろう。
自分が必要性を感じなければ他者からどれだけ勉強を強いられても、自分の知識にはならないということを20歳を過ぎてから知ったのであった。