小さなころから、本は私と世界を繋ぐどこでもドアだった。
紀伊半島の山の中で育った私は、当時はインターネットもなければケータイ電話もなかった。村には電車も走ってないし、村から町へ出るバスが1日3-4本あるだけだった。
車がなければどこにも行けない、そんな立派な田舎で世界と自分を繋ぐのはテレビと新聞、そして本だけ。まさかのラジオすら電波が入らず、NHKラジオ英会話はカセットを購入していた。友達は当時好きだったSOPHIAのラジオを聴くために大阪に住む親戚にカセットに録音してもらって、郵送してもらうという手間をかけてまで松岡充様を追いかけていた。
今では考えられないような情報のない生活で、唯一世界と繋がれるのが本だった。
小学生の私は本の世界にどっぷり浸かっていた。小学1年生の時に、授業を聞かずに学級文庫を読み漁り、先生に「今は算数の時間だから、算数の本を読もうね。」と諭されても国語の教科書を読むような子どもだった。家には両親の集めた本や図鑑、辞典がたくさんあり、さらに新聞を2社(朝日と毎日)取っていたので読み物には困らなかった。小学生の途中まで、お小遣いがなかったが本だけはジャンルを問わず買ってもらえた。クレヨン大国シリーズを読破しながら夏目漱石全集を読むような小学生だった。
中学生になって、ようやくパソコンが普及し始めたがダイヤルアップ回線の遅いこと。変わらず本を読み、村上春樹、開高健、阿刀田高、立花隆、井上ひさしなど父の路線が色濃く反映され、ここで深夜特急(沢木耕太郎)に出会った。のちにバックパッカーとなる芽はここにあったのだ。行ったことのない国に思いを馳せ、現地の料理を食べてみたい、安宿に泊まってみたい、インド洋に沈む夕日をぼんやりと思い描きながら、この狭い村から出てどこか知らない街に早く行きたいと思っていた思春期。
今では都会に住み、本屋さんにすぐ行けて在庫がないならアマゾンで取り寄せて、ネット書籍でもすぐに欲しい本が読める環境。
それでも何度でも読み返す本は手元にあって、母から譲り受けた「モッキンポット師の後始末」と父から譲り受けた「モッキンポット師ふたたび」。どちらも井上ひさしさんの作品だ。主人公らは食うために珍バイトを始めるが必ずトラブルを起こし、その尻ぬぐいにやってくる神父、それがモッキンポット師。なんとなく元気の出ない夜はこれを読んで笑っていた20代。
文庫本の一番後ろに、いつ購入したか律儀に書いてあるうちの両親。昭和50年ということは48年前、4回前の卯年に親が買った本を今娘が読み返している。
今年はどんな本を読もうかな。