メイタタのしもべ日記

タンザニアに住むマサイの夫と遠距離中の看護師

100記事目

年明けから描き始めたブログが三日坊主にならず、今日で100記事目となった。

連続して100日間描き続けられなかったけれど、100記事書けた事は少し自信になった。

 

文章を読むのが好きな子どもだった。

小学校に入学して教科書をもらったその日に国語の教科書は読破した。算数や理科の授業中に学級文庫を読み漁り、先生に「今は算数の教科書を見ようね。」と諭された事を覚えている。

図書館も好きで入り浸っていた。本のジャンルは何でも良くて、料理本からミステリー、ファンタジー、時代小説と片っ端から読んでいった。

街に出れば必ず本屋に行く父について行って、何かしら本を買ってもらっていた。クリスマスにミヒャエルエンデのはてしない物語を貰って喜び、妹が貰ったモモと交換して読んだ思い出。

 

活字を読めれば何でも良かったので、暇を持て余した父と一緒に辞書を読んでいた時期もあった。父が岩波国語辞典、私が新明解国語辞典と二人別々の辞書で同じ言葉を引いて、そっちなんて書いてある?と調べるのだ。辞書によって色々解釈の違いがあって面白い。

三浦しをんさんが書いた「舟を編む」は辞書作りについての物語で非常に面白いので是非ご一読ください。

 

読むのは好きだが、書くとなれば別の話。

何事も練習が必要だ。小学校の夏休みの宿題で出される作文は苦手だった。税についての作文は筆が進まず苦労した思い出がある。

書きたいものを書きたいように書くのと、指定されたタイトルに沿って書くのは似て非なる行為だと小学生の私は思っていた。

 

それから時は経ち、高校生になった私は新聞部に入った。部員は5人くらいしかいないこぢんまりしたクラブだったので、好きなように書かせて貰えた。もちろん校正は入るのだが、私は主にコラムを担当していた。

ある時書いたコラムを、違う学校の先生が「このコラム良かったよ」と褒めてくれた。内容はもう忘れてしまったけれど、「書く」という行為が楽しいものだと思ったのはこの辺りからだろうか。

 

高校2年生の時の担任のI先生は現国の先生だった。

彼女は何故か私の文章を気に入っていて、私が書いた文章をお手本にとコピーして皆に配っていた。何をそんなに気に入ってくれたのか分からないが、それもあって文章を書く事は楽しい事となった。

 

大人になってからは久しく「書く」という行為から遠ざかっていたが、こうしてブログという媒体に自分の体験や気持ちを書き連ねるのは楽しい事だと再確認した。

過去の自分を振り返ることも出来るし、その時感じた気持ちをパッキングしておけるのも良い。

つらつらと100記事目を書いてしまったが、これからもゆるゆると書いていくので、よろしくお願いします。