メイタタのしもべ日記

タンザニア出身マサイの夫と日本人妻の日常

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I can speak English.

ワーホリでオーストラリアに1年住んでいた。

世界一周したことがある。

外国人とお付き合いをしたことがある。

 

私が英語を喋っているところを見たことのない人は、「そんな経験があるなら、英語ペラペラなんですね!」と言う。そんなわけない。

真面目に英会話に取り組まなかったせいで、現在形と過去形のみでやり切る日々。

現在完了や関係代名詞など使えるわけもなく、同じフレーズを繰り返してなんとかやり過ごしているだけだ。

「いや、喋れへんよ。」

「またまたそんな謙遜して~。」

「ヘラヘライングリッシュやで、ほんまに。」

「外国人の患者さんきたらお願いしますね!」

 

学生のころ、英語は苦手科目だった。

中1の期末テストで「December」が分からなくて、隣の席のNちゃんに「これ、なんのこと?」と小声で聞くと「今月(12月)のことやで。」と親切に答えてくれたのに、回答にそのまま「今月」と書いて不正解だった。

日本から出ないし、英語なんかわからんでも生きていけると割と本気で思っていた私が何きっかけで英会話を始めたか、そのきっかけの一つが患者さんとの出会いだった。

 

京都の病院で働いているときに、緊急カイザー(帝王切開)が入ってきた。

妊婦さんはバングラディシュの人だった。夫(大学院生)について日本にやってきたらしい。

ちょうどその時夫は来院できなくて、彼女は一人で異国の地で出産、しかも帝王切開に挑もうとしていた。

運ばれてきて、手術台の上で不安そうな妊婦さん。

麻酔科の先生は英語ペラペラのM先生だった。突然、M先生が私に「ねえ、ベンガル語ってイケる?」と聞いてきた。

バングラディシュに縁もゆかりもなく、もちろんベンガル語など話せるはずがなかった。

「すみません、ベンガル語話せないです。」

「そやんなー。患者さん、日本語全然喋られへんねんて。あんまり英語もわからんみたいで。ここでタタちゃんベンガル語話せたらヒーローかなと思って。」

目の前の妊婦さんは両手を固く握りしめて目には涙を浮かべている、なにか天に向かって喋っていた、おそらく神に祈っていたのだろう。

とにかく安心させなくては。咄嗟に出た言葉は「大丈夫!」だった。

彼女の手に自分の手を重ねて、大丈夫大丈夫と彼女に笑顔で何度も繰り返した。なにも伝わらないはずだが、彼女も私を見て涙目で頷いていた。

 

その後、麻酔がかかり怒涛のカイザーが始まり一瞬で赤ちゃんは取り出され去っていった。赤ちゃんを見る暇もなく、「ガーゼカウント!閉腹!!」床に落ちたガーゼを回収し出血カウント、ガーゼカウント、器械カウント。「温生食1000と0バイクリルくださーい!」

感動する暇もなくオペは無事終わった。

 

お互い、英語が話せなかったが身振り手振りで何かは伝わることを経験した。

M先生が平易な英語で彼女とコンタクトをとっているのを見て、「もっと言葉が伝わったら、いろんな人と関われて世界が広がるなあ」と思った。

そのオペの翌週、イーオンに入会し英会話習得への道を歩き出したのであった。

そこから10年以上の月日が経った、覚えたのは拙い英語と巧みなジェスチャー

めげずに今年も英会話を続ける。英語喋れるよ!と言えるその日まで。