メイタタのしもべ日記

タンザニアに住むマサイの夫と遠距離中の看護師

マサイ彼氏、本当の誕生日を知る

マサイは誕生日に対する意識が希薄だ。

ロマの両親あたりになると、西暦何年産まれかも怪しい。

祖父(長老)なんてもっと曖昧だ。

何歳っていう概念があまりない。

なぜなら、マサイは人生がステージに区分されているからだ。

幼少期、戦士の時代、長老の時代という感じで分けられているため「何歳」というのは大した意味を持たない。ライフステージこそが大切なのだ。

昔の日本でいう元服とか、そんな感じだと私は思っている。

 

結婚しても子供が産まれても役所に届け出る習慣がないため、国としてもマサイの正確な人数を把握しきれないのだとか。

Wikipediaで見ても推定って書いてあるのはこのせいか?

 

というのも、今までロマは1993年生まれと思っていたがいざ公式な証明書を照らし合わせてみたら1994年だった。

本人に聞いても「1994って書いてある。知らんけど」大して興味も無さそうだ。

私の年齢も「年齢なんてただの数字でしょ?」と気にする様子全くなし。

お隣の国、ケニアに住んでいる永松真紀さんの旦那ジャクソンさん(マサイの長老)も正確な生まれ年を知らなかった。

パスポート申請時に役所の職員がジャクソンさんの顔を見て「んー〇〇歳くらいかな」と職員が生年月日を決めて、それがパスポートに記載されている。

ゆるふわ具合がすごい。

 

ロマの数字に対しての考え方が私とは全く違う。

身長も体重も靴のサイズも知らない。

服のサイズも知らない、着てみてフィットしたやつを買う。

でも特に問題はないという。

 

数字の持つ平等性、公平性は何かを評価する時には大変便利な指標だ。

ただ、それが持つ意味以上に数字に縛られて息苦しく感じてしまうのも一面。

テストの点数だったり、思春期以降の体重や身長、年齢。

そういった事に振り回されず、悠々と生きているロマを羨ましくも思う。

 

本当の誕生日もわかったところで、あとは書類が出来上がるのを待つだけ。

上手くいきますように…!

 

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