メイタタのしもべ日記

タンザニア出身マサイの夫と派遣看護師の日常

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インド洋の宝石、ザンジバル島

タンザニアって海あるの?」

よく聞かれるこの質問、東アフリカに位置するタンザニアはインド洋に面している。

ザンジバル島はもともと独立した国だったが、イギリスの植民地になった後に1964年にタンガニーカと合併して現在のタンザニア連合共和国ができた。

本土のダルエスサラームからフェリーで2時間、一路ザンジバル島へ。

 

合併したとはいえ、強い自治権を持つザンジバル島

私たちが一度タンザニア本土に入国していても、もう一回入国カードを書いてパスポート共に提出しなければならない。

フェリー乗り場は人・人・人+物で溢れかえっている。

母の顔を見ると、体調不良に重ねて「この中に今から割って入るのか。」という戦国武将のような面構えになっていた。

並ぶという概念はないので、横入り上等!

わーわースワヒリ語が飛び交う中をロマが先陣を斬り、次に母、私が殿を務めてグイグイ進む。

フェリーの席にたどり着くまでに体力は半分ぐらい削られた。

あいにくのお天気で海はドス黒い色をしている。お願いだから揺れないで、と願っているうちにザンジバルに到着。

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フェリー乗り場からバジャージで10分、ストーンタウンの真ん中にあるホテルに到着した。

スパイスパレスホテルにチェックインすると奥からマサイの青年が2人来た。

ロマと喋ってるから「知り合いなの?」と聞くと「同じ村の子だよ。」20代半ばくらいの青年はこのホテルで働いていて、私たちの荷物を持って部屋まで案内してくれた。

ザンジバル島にはタンザニア本島のタンガ州出身のマサイが出稼ぎに来ていることが多い。

マサイネットワークは強い絆があり、ザンジバルに来ていても週に1回は会議をしたり自治を行っているらしい。

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ホテルは綺麗でちょうどいい大きさで、お湯も出て大満足。

私とロマで1部屋、母に1部屋で荷解きが終わったので母に声をかけるといよいよぐったりしていた。もともと細くてカリカリな母だが、もはや枯れ木のようになっている。見るからに脱水がひどく口からの摂取もすすんでいなかった。

「これはあかん、病院行かな!」

タンザニア日本国大使館HPに載っている病院が運よく近所にあったので、タクシーで行くことにした。

 

15時に病院に着くと、日曜日のため人はまばらだった。

受付で事情を説明すると、まずお会計に通された。診察料先払い制だったのだ。

2万シリング(1,200円)を恐らく初診料のような形で支払い、通されたのはエマージェンシールームだった。

休みだから診察室が閉まっているのか、母の容体が悪そうだからなのか真偽は不明だが、センサーキーの付いたエマージェンシールームに案内され人の良さそうな医師が「今日はどうされましたか?」と診察が始まった。

母は自分の症状を細かく記録していたので、私がそれを英語で通訳した。

そんなこと言うと、すごく英語が堪能に聞こえるが私の本職は看護師なのでなんとなくの医療英語は理解できた。

言い終わると、医師は「なるほど、エジプトからしんどかったんですね。口開けてください。脱水がすごいですね、点滴しましょう。」

そして電子カルテに処方を打ち込み、私に「先にお会計行ってきてください。」と告げた。

またお会計に行き、お金を払ってレシートを見ると「点滴」「留置針」「抗生剤」など項目に分かれており、横に値段が記載されている。

部屋に戻るともう点滴は開始されていて、母の腕には留置針が刺さっていた。

興味深いのは留置針の次に三方活栓のようなものがついていて、そこから点滴の管が繋がっており固定のテープも日本だったら人体にはあまり貼らないような硬めのテープで腕一周がっちり固定されていた。

点滴が始まった以上、母はそこから動くことができないので何か飲みたいものはないか聞くと暖かい飲み物が欲しいとのことだった。

医師に紅茶は大丈夫か確認し、ロマと一緒に買いに行くことにした。

 

紅茶を買って病院に戻っても点滴は続いていた。

結局500mlの点滴3本と100ml2本打って処置が終わったのは日も暮れた19時ごろ。

母は脱水が改善されて気分も良くなり、医師にお大事にね〜!と見送られ無事にホテルに帰ることができた。

今日の教訓、海外保険には必ず加入していくべし。

ありがとうHIS保険、おかげで躊躇いなくカード切れました。