メイタタのしもべ日記

タンザニア出身マサイの夫と派遣看護師の日常

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18年ぶりくらいの同期会

6月最終日、今月も矢のように過ぎ去ろうとしている。

 

そんな月末の忙しい最中、大阪でとある会合が開かれた。

私が就職1年目の時に、京都の病院で一緒に働いていた医師と手術室看護師の集いが18年ぶりくらいに開かれたのだ。

みんな40代となり、見た目もすごく変わってて「会ってわからんかったらどうしよ」なんて思いながら店に到着。

私より先に手術室同期のKちゃんが座って待っていた。彼女とは1年ぶりくらいの再会なので、見てわからんという事態は免れた。

「久しぶり〜」

「元気だった?」

と他愛もない挨拶をかわしながら、何かいつもと違うことに気がついた。

彼女のお腹がこれ以上前に出られません、というくらい迫り出しているのだ。

「もしかして…!もしかせんでもおめでとう!!」

なんと臨月だった。あと1ヶ月以内にこちらの世界にデビューする予定らしい。

 

同期5人の中で、4番目に結婚したKちゃん。(私が5番目)

40代の妊娠は色々と大変な中で、ぷっくり迫り出したお腹がそれはもう愛おしかった。

もはや同期の子供は私の甥や姪くらいの気持ちで見守っている。

安産でありますように!

 

そうこうしているうちに、十数年ぶりにK医師がやってきた。

何にも変わらん、外見も言動も独特なモーションもそっくりそのまま、あの時のまま。

「え、もう飲もや。始めよ」

待たない感じも懐かしい。

1.5倍速くらいで生きてるK先生、昔と変わらぬ細さを維持。

その後S 先生とM先生も到着し、残りの同期3人も無事についた。

みんなとは2005年の春に出会って19年、年取ったはずなのに会えばあの時に一瞬で戻る。

当時の麻酔科の〇〇先生に怒られた話とか、呼吸器外科の先生のその後とか、心臓血管外科の先生のモノマネ等々話が尽きることなく数時間経過。

「心外の替え歌あったよね?」

「〇〇(教授)と〇〇(助教授)の間には〜今日もサフェナが2本ある〜」

今考えても秀逸な替え歌である。原曲を作った中島みゆきは言うまでもなく天才である。

※サフェナ=下肢の静脈(大伏在静脈)、心臓のバイパス手術に使用される血管。

 

思えばギャグセン高めの職場だった。

いつも集まってはそんな替え歌を作り、YouTubeが流行っていない時代からデジカメ片手に街頭で撮影し、挙句病院にお見舞いに来ていた当時の京都府知事に「一言お願いします!!」とか今ではコンプラの関係で出来なさそうなことばっかりやっていた。

応じてくれた知事は懐が大きかった。

 

同期が私の結婚祝いにと、プレゼントを用意してくれた。

開けてみると、「夫」「妻」と書かれたTシャツがペアで入っていた。ぜひロマと一緒に着ようと思う。

もう一つトートバッグが入っていた。

そこには2005年の忘年会で使用した宣材写真がプリントされているではないか!!

1年目の忘年会で2年目の先輩に「ちょっとでいいから芸を披露してほしい」と言われ、歌って踊ってコントやって合唱する(アンコールあり)の「標準忘年会芸計画書」を提出したときの先輩の顔が忘れられない。

求められているレベルを遥かに凌駕する私たちのオンステージ計画、忘年会にかけるパッションは仕事以上だった。

その出し物の中の一つが、セーラー◯ーンの格好をして替え歌を歌い踊るというものだった。

不潔になって使えなくなったディスポガウンを人数分集め、夜な夜なセーラー服になるようミシンを踏み完成した衣装。

その衣装を着て、宣材写真を撮り、至る所に忘年会告知として掲示されていたあの写真がトートバッグにプリントされている。

 

あの日、あの時、あの場所で出会えた奇跡が今もこうして続いていることを嬉しく思った。

タンザニアに行っても、時々はこのおもろい同期たちと繋がっていたいとみんなの笑顔を見てしみじみと思った6月の終わり。