4月30日夜に帰国して、翌日5月1日から再就職して手術室で働き始めたタタです。
自分の健康を過信しすぎた結果、5月1日は立位になるだけで精一杯。
タンザニアから帰国する便で体調が今年最高に体調が悪くなり、隣にすわっていたエチオピア人の寄生虫学の教授に看病され「大丈夫か?医者呼ぶ?担架いる???」と心配され、ほかの乗客が全員降りた後も付き添ってくれた。エチオピアから韓国までの長距離フライトも屍のように横たわり、ひとつ隣の席にいた日本人Kさんに心配してもらい水やクッキーなど調達して頂いて無事韓国まで辿り着いた。その節はお世話になりました。
そんな翌日のオリエンテーションは白目剥いて天井を仰ぎ、つらすぎて課長さんに「本当に申し訳ないのですが、立ってられないので横になります」と宣言。
「お、おぅ。そんなに体調悪いん?大丈夫か?」
こんな横暴な態度を取れるのは7年前にここで働いた経験があったから。さすがに初対面でこんな失礼は出来ない、二度目ましてでよかった。
もう二度とこんなタイトスケジュールは組むまいと心に誓った(しかしすぐ忘れる)。
さて、ここ7年間は手術室から離れて病棟とかコールセンターにいたわけで、手術看護を忘れてしまっている自分がいた。
7年は大きい、子どもが生まれて小学校入学しちゃうくらいの時間が流れたのだ。月日が流れるのは早い。そうはいってもまだ手術室で働いていた歴史の方が長いので、見学しているうちにぼんやりと思い出してきた。思い出すとともに、変わっている部分もたくさんあって技術の進歩を感じた。
7年前はまだ術中の映像記録はDVD保存だったが、USBに変わっていた。数時間ごとにDVDを入れ替えて、手術が終わったらファイナライズしてなんやらして~…初めて就職したときはマニュアルの入ったフロッピーディスクを渡されたのに、今やUSBに動画入れられるんか…
時代は変わり内視鏡モニターも薄く軽くなり、無影灯も薄く軽くなり、イメージ(術中に使うレントゲン装置)は相変わらずでかくて重かった。
初日のオリエンテーションは何も覚えていない。翌日は手術見学、ゴールデンウィークを挟み翌月曜日、もう一回見学。
その次の日から一人立ち。応援ナースは即戦力が求められるので、そんな手取り足取り教えてもらえるとは思っていないが早くない?!手術も無事終わり、術中記録を書き終え、さすがにあってるか心配になったので通りがかりの課長さんを捕まえて「記録これでいいですか?」と聞いてみた。
「あぁ。…ええんちゃう?」
不安!!!!
これから半年間頑張ります。
自分のUSB買お。