メイタタのしもべ日記

タンザニア出身マサイの夫と日本人妻の日常

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友人の結婚式に参列

どうしても、9月の半ばまでに帰国したかった理由があった。

看護学校時代の友人が、結婚式をするというのだ。

家族だけの式に呼んでくれたので、鼻息荒く「これはいかねばならぬ!」とロマと一緒に参列させてもらった。

 

彼女とは18歳の春に出会い、同じ近鉄線に乗って毎日学校まで一緒に通っていた。

部活も同じ水泳部で、それはそれは濃い〜大岩亭のラーメンスープのように濃厚な3年間を共に過ごした。

彼女は優しくて勉強もできる人格者で、いつも赤点のデッドラインを彷徨っている私を引っ張り上げてくれていた。

ある日、昼の11時まで家で寝ていると電話がかかってきた。

「タタちゃん!テスト始まっちゃうよ、今どこ?」

「???家やで!テスト1時からやで。」

「ううん、1時ちゃう、11時からやで。もうみんな集まってるよ!」

「いや、1時からって聞いたもん。」

寝ぼけながらテストは1時からだと主張する落ちこぼれに、彼女は困惑していた。

「え、どうしよ、単位落としちゃうで?!」

看護短大という場所は、一般の大学とは違ってほぼ全ての科目が必修である。

私以上に焦る彼女。

「もしもし?タタさん?テストもう始まるから、とりあえず急いできてくれる?何時に来られそう?」

ついに痺れを切らした先生が電話口に出てきた。

「えー1時じゃなかったんですか?(まだ言ってる)1時間後にいきます。」

トボトボと教室にたどり着くと、もう先生と2〜3人の生徒しか残っていなかった。

彼女はもうテストが終わっていたのに、私の到着を待ってくれていた。マリア様かな?

呆れながらも先生は私にテスト用紙を配ってくれて、テストを受けさせてくれたのでことなきを得た。

これ以外にも散々拾い上げてもらったので、彼女がいなければ進級はかなり危うかった。

 

卒業してからも、彼女は4年生の看護大学に編入し私は就職して離れ離れになったけれど、連絡が途絶えることもなく今日まで仲良くしてもらっている。

彼女がカナダにワーキングホリデーに行ったのに感化され、「私もワーホリ行く!!」とオーストラリアに行った事が人生のターニングポイントになった。

結果、すこーし英語がわかるようになり、世界中この目で見たい!欲求発動しアフリカまで辿り着きロマと出会ったのだから彼女のお導きだったのかもしれない。

 

そんな友人が結婚式に呼んでくれるというのだから、何がなんでも間に合わせようと帰国したのだった。

彼女も彼女の旦那さんも英語が話せるので、ロマも楽しみにしてくれていた。

お互いマサイの格好をして近鉄電車に乗り込む。

さすがに視線を感じるが話しかけられはしなかった、ただ階段降りているときに後ろのおばあちゃんが「あれまーすごい髪の毛!」とロマの頭を見てびっくりしていた。

 

奈良ホテルに着き、ロマとジュースをいただきながら奈良ホテルの歴史ある建物を観察。

スタッフの人が呼びにきてくれて挙式のチャペルに移動し、席に着いてその時を待つ。

彼女のお父さんやお母さんが「よくきてくれたね!遠かったやろ!」と労ってくれた。

学生時代泥酔してベロベロになって家に寄せてもらい、朝起きたら私の汚いジャージを洗濯してお味噌汁まで出してくれたママ。変わらず優しかった。

いよいよ式が始まり、扉が開き彼女が出てきた。

美しい…!もう出会って20年以上経つのに変わらぬ可憐さ。

ママがベールを降ろし、パパと共にバージンロードを歩く彼女を見て涙。

長い事、一緒に生きてきた戦友みたいな友人が白いウェディングドレスに身を包み、赤いバージンロードを歩いていく。

感無量とはこのことか。

 

挙式は粛々と進行し、とても暖かい雰囲気の中で2人の結婚を祝うことができた。

みんなで写真を撮り彼女と旦那さん、ロマと私の4人で写真を撮ることができて本当に嬉しかった。

ロマも「とっても良い結婚式だね!」と喜んで、私たちは終始ニコニコして楽しい時間を過ごすことができた。

生涯忘れることのない、最高の1日だった。

 

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今まで何回も友人の結婚式に行ったおかげで、結婚式で歌う定番の讃美歌を暗唱することができるようになった私。

🎼慈しみ深き友なるイエスは〜