紀伊半島の山の中で育った私は、中学卒業とともに村を出た。
奈良の真ん中あたりにある公立高校に入学し、家からは到底通えないので寮に入って3年間過ごした。
奈良の下半分は山なので、そこから集まってきた村民たちともに寝食を共にしたわけだが毎日が修学旅行。反抗期シーズンに合法的に家を出られたのは本当にラッキーだった。
寮での暮らしは寮費2万円/月くらいで一部屋に2~3人、先輩と後輩がペアになるように部屋割りが組まれていた。3人部屋の場合、自分の居場所は2段ベットの上段で夏はクーラーもなく暑すぎて死にそうになったことは数知れず。I先輩が洗面器に氷を詰めて枕元に置いてくれたから熱中症を免れた。
ご飯は寮母さんが作ってくれて、お弁当も作ってくれた。掃除と洗濯は自分でやって、お風呂の時間は学年によって決まっていた。3年生が一番風呂で1時間、次に2年生が45分、1年生は30分だったような。テレビの置いてある部屋には基本的に3年生しか入れず、テレビとは無縁の生活になった。
夜は高校の先生が舎監当直で代わる代わるきて、19時と22時半に点呼があった。
家に居た頃は21時に就寝していたので、22時半の点呼は起きていられなかった。部屋の前に並んで名前を呼ばれたら返事をしなくてはならなかったのだが、毎回寝ていて先輩が「タタさん寝てます。」と返事をしてくれていたが、あまりにも点呼に出なくて体育のJ先生に怒られ、それでも起きられなかったので最後には「なにかしらの病気かもしれない」と受診を勧められた。特に何もなかった。
寮はオンボロで、廊下のタイルはあちらこちら剥がれて黒いのがむき出しになっているし、部屋の引き戸はギーギーいうかフルパワーじゃないと開かないか、トイレは花子さんも出て行っちゃうレベル。そしてお風呂に続く渡り廊下の奥にある井戸、まさに貞子が出てくる条件が全てそろっている寮。その当時、私は腰まである真っ黒のロングヘアを振り乱し、貞子のコピーに勤しみ同級生に披露していた。
「見てみてー!」
「貞子やん!すごーい!」
「貞子からの~わき毛~」
とロン毛を脇に挟んで喜んでいた。
後輩を驚かすために黒いごみ袋に入り、頭のほうは同級生に閉じてもらい足が出るとこを2か所穴をあけて体育座りで人が来るのを待っては全力で走って追いかけるなど、IQ3くらいの遊びを毎夜繰り広げていた。
箸が転げても笑える花のJK時代はこうして過ぎていった。もちろん彼氏はできなかった。
この時期を一緒に過ごした同級生とは未だによく会っている。高校生活は戻りたくないが、寮生活は楽しかった。もし、人生2回目があっても寮生活をしたい、そして次の高校生活では彼氏ができることを切に願う。