メイタタのしもべ日記

タンザニアのマサイ村に嫁いだ日本人の日常

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お別れ

生まれる命があれば、終わる命もある。

マサイ村で1月に生まれた子牛が死んでしまった。

子牛が大きくて難産だったので、ロマを筆頭にママたちみんなが出産を手伝った子牛だった。

無事に生まれて育っていたのに、ある日放牧から帰ってくるとその子牛が見当たらなかった。

村のみんなで探したが見つからず、母牛は一晩中鳴いていた。

翌朝、近所の畑の片隅で変わり果てた姿で発見された子牛。

誰かに頚部を叩かれた跡があり、血を吐いて冷たくなっていた。

 


ロマが言うには長年マサイと諍いのある近所のスワヒリのおじさんがしたんだと思う。

放牧中の牛がおじさんの畑に侵入して、とうもろこしを食べてしまう事件が何度かあったらしい。

しかし、現行犯で見たわけでもないのでこちらとしては何も出来ない。

可哀想なのは子牛の母牛と、牛の持ち主のママヤンガライだ。

マサイにとって牛は家族同様に大切な存在で、ましてつい最近生まれたばかりの子牛を失うことは子どもを失うに近いものがある。

随分と落ち込んでいるママヤンガライにかける言葉が見つからなかった。

 


その翌日、今度はうちの子山羊が亡くなった。

多分、病気だったんだと思うけれど、朝に山羊の小屋で冷たくなっていた。

ちょっと前にニワトリも息絶えてカチコチの状態でママのベッドの下から発見された。

ママが「昨日まで元気だったのに」と眉をハの字にしていた。

 


元気で病気の兆しもなかった動物が亡くなる、これはとても辛いことだ。

何か予兆を見逃したんじゃないか?

出来ることが他になかったか?

失われた命が戻ることはない、だから日々物言わぬ家畜の状態をじっと観察しているのだ。

 


昨日、夕方に出かけて行ったロマが一晩帰ってこなかった。

うちには電波が届かないので、連絡も取れないし何が起こったのかわからぬまま朝を迎えた。

いつも通りママと一緒にチャイを飲んでいると、ママとローズ(妹①)が教えてくれた。

「昨日の夜、バブ(おじいちゃん)のお母さんが亡くなったのよ。」

 


マサイは一夫多妻なので、おじいちゃんの産みのママではない。

何人かいるママの、最後のママが亡くなったのだ。

バブも高齢なので、きっとかなり高齢だったのだろう。

バブの家にお悔やみを言いに行くと、バブはベッドに臥していた。ママが亡くなったショックで体調が悪くなったらしく、寝たまましんどそうに挨拶してくれた。

バブもいい歳なので健康状態が心配だ。

 

いつの日か、そう遠くない日にバブともお別れの日がくる事を強く意識した。

みんないつかは終わる命、でもそれは今日ではないと思ってしまう。

大おばあちゃんの死を悼むように、1週間ぶりの雨はざあざあと降り続き、地面には青々とした新芽が生えていた。

 

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