ホセ・ムヒカ氏、彼は元ウルグアイの大統領だった人で彼は世界一貧しい大統領と呼ばれていた。
公邸には住まず質素な家に暮らし、給料のほとんどを寄付に当てていたという。
国民と同じような暮らしをする彼は「私は貧しいのではない、質素なのだ。節度を持って暮らし、身軽でありたいと思っているだけだ。」と述べている。
私が彼を知ったのは、何かのニュースだったように思う。
2012年リオデジャネイロで開催された国連の会議での有名なスピーチを見たのが最初だ。
彼はこの大量生産大量消費の世界が本当に世界を豊かにしたのだろうかという問いかけだった。
先進国が行う消費を、世界の70−80億人ができるだろうか?
そんな原料がこの地球のどこにあるのか?
私たちは自分たちが作り出した消費社会にコントロールされている、私たちは発展するために生まれてきたわけではない。発展は幸福を阻害するものであってはならない、人類に幸福をもたらすものでなければならない。
愛を育むこと、人間関係を築くこと、子供を育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。発展はこれらをもたらすべきであり、幸福が私たちの最も大切なものだからだ。
環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはならない。
先日、私とロマはタンザニアの現政権について話をしていたところ、ふとこのスピーチを思い出してロマに聞いてみた。
「世界で一番貧しい大統領って知ってる?ウルグアイのホセ・ムヒカっていう人なんだけど」
「知らない、どんな人なの?」
そして彼の生い立ちから、大統領時代にどのように振る舞っていたかをネットで調べてロマに伝えた。
「彼はとっても立派な人だね、自分のことのように国民のことを考えられる稀有な大統領だったんだ。タンザニアの上層部は汚職に塗れているから、見習ってほしいよ。」
その後、一緒に彼のスピーチを見た。
マサイ村で暮らすようになってから、いかに自分が物欲に塗れていて、モノによって満たされようとしていたかがわかった。
本当に欲しいものは、モノではないと言うことは薄々わかっていたのだが、何しろ私たちの日常には広告が溢れていて広告を見るたびに「欲しいかも」と本当に必要ではないものを欲しがってしまう構造が張り巡らされている。
ネットを開いて検索する傍、広告がぴょんぴょん出てくる。
なんとなくポチッと買って、使わずにゴミに出したものがいくつあっただろう。反省。
こっちに移住してから5ヶ月、服も靴も鞄もアクセサリーも何も買ってないが全く不自由せず生活できている。
ここで有名ハイブランドのバッグを持っていたって意味がない、それなら貯水タンク買いたい。
看護師として働いていた時、患者さんの最期に立ち会うこともあったが人生の終焉に「あーポルシェ欲しかったな〜、バーキン欲しかったな〜」なんて言う人に会ったことがない。
大体、もっと家族と過ごせば良かった、もっと旅行に行けば良かった、もっと自分の気持ちに素直に生きれば良かったと体験にフォーカスを当てる人がほとんどだった。
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」
足るを知る、マサイ村に住んで得た価値観を大事にしたい。
この話をロマとした翌日、ホセ・ムヒカ氏は鬼籍に入られた。
私たちに考えるきっかけを与えてくれた彼のご冥福をお祈りします。