メイタタのしもべ日記

タンザニアのマサイ村に嫁いだ日本人の日常

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携帯電話

初めて手にした携帯電話は高校を卒業した春、J-phoneでカメラ付きケータイを買ってもらったのが始まりだった。

時は2002年、藤原紀香さんがCMしていた機種で「写メール」という言葉が生まれた頃。

 


当時、私の実家はdocomoしか電波が入らず、役場を過ぎたところの国道の立て看板に「ここからdocomoしか繋がりません」と手書きで書かれていたのを思い出す。

 


さて、ここマサイ村では一体いつから携帯電話が普及したのだろうか?

マサイがスマホ使ってるなんて衝撃!と言われる事も多々あるが、携帯電話がいつから普及したのかロマに聞いてみることにした。

「たしか2009年頃だった気がする。バブ(おじいちゃん)が『携帯電話が必要だ。』の一声で、息子たちがお金を出し合って1台の小さなNOKIAの携帯電話を買ったのが始まりだよ。」

 


2009年頃に初めての携帯電話がマサイ村にやってきた。

それは瞬く間にご近所に知れ渡り、みんながバブの携帯電話を借りに来たという。

「これが、電話と言うものか!」

固定電話をすっ飛ばして、いきなり携帯電話がやって来た衝撃は計り知れない。

電話代はお店で小さな紙を買って、銀の部分をコインで擦ると番号が出てくるので、その番号を携帯電話に入力して通信費を払うシステムだった。

借りに来る人はその小さな紙を手にバブの携帯電話を目指してうちの村に来ていた。

近所で携帯電話を持っているのがバブだけだったので、マサイだけではなく他のTribeの人たちもこぞって借りに来たという。

「次かけるから、早く終わってよ!」

行列ができるほど連日人が集まっていた。

 


もちろん電気なんて無いので、歩いて1時間以上かかる村まで充電しに行っていた。

バブの代わりに若い男の子が携帯電話を充電しにその村まで牛乳を持って行く。お金の代わりに牛乳を払っていたという。

そうして、この地域に住む人たちの唯一の通信手段としてバブの携帯電話は大いに重宝された。

 


ある日、バブが放牧から帰ってくると携帯電話がない事に気がついた。何処かに落としたのだ。

周辺住民総出で携帯電話を地面に這いつくばって探した。

今みたいにみんなが携帯電話を持っていないので、誰も鳴らす事も出来ない。

まさに一大事、2時間ローラー作戦で草むらを探したところ近所の男の子が携帯電話を発見!

バブだけではなく、近所の人全員に「よく見つけた!」と褒められたそうだ。

 


そうやってみんなに大事にされてきた携帯電話もついに終わりを迎える日がやってきた。

その日、日が暮れた後は寒かったのでバブは焚き火に当たっていた。

ビーズで作った携帯電話入れを首から下げて、携帯電話はその中に入っていた。

焚き火にあたりながらウトウトしていたバブは突然の爆発音で目を覚ました。

爆弾で攻撃された思ったバブは、すぐに避難し長男のスペンが何事かと様子を見に来た。

爆発音がしたあたりを探すが何もない、まだ燃えている焚き火の中に棒を入れて中を見るとそこには変わり果てた携帯電話の姿があった。

 


携帯電話を偲ぶ会は3日間続いた。

近所の人が話を聞いて家に駆けつけ、バブにいつも通り挨拶をする。

バブはこれ以上話しかけないでくれと言わんばかりの雰囲気を纏い、弔問客に携帯電話の場所を指し示した。

焼け落ちた携帯電話の姿を確認して、みんな無言で帰って行ったという。

 


5-6年は使われたと言うバブの携帯電話は突然、不慮の事故で使用不可になった。

これが、うちのマサイ村に初めて来た携帯電話の話。

今やバブはスマホを持っているが、いまいち使い方がわからないようで小さな携帯電話を併用して使っている。

電気もソーラーパネルで発電出来るようになったので、携帯電話の充電も家でできるようになった。

文明の恩恵を受けて、今日もマサイ村からブログを更新する事が出来ている。

 


皆さんは一番初めに買った携帯電話の事、覚えていますか?